プロレス名言No.002「ゴッチの前にゴッチ無く、ゴッチの後にゴッチ無し」byフランク・ゴッチ(初代世界ヘビー級チャンピオン)
プロレスの歴史を紐解くに、いろんな立場や視点からの見方がある。視点が変われば捉え方も変わる。いわゆる「史観」というやつだ。
日本のプロレスで言えば「ジャイアント馬場史観」「アントニオ猪木史観」「UWF史観」「ゴング史観」「週プロ史観」「ファイト史観」「東スポ史観」「梶原一騎史観」などなど。
掘れば掘るほどいろいろな見方があるだろう。
この見方をグローバルな方向に拡大した時、日本のプロレス史観は全て「NWA史観」が下敷きになっていると言える。つまり、NWAが定義したプロレスの歴史に基づくものだ。
NWAは要するに、全米各地のプロモーターの組合だ。
「無駄な興行戦争が起きて疲弊しないように、みんなで談合して市場を独占しましょうよ」という理念のもと、チャンピオンを共有し各プロモーターの市場をサーキットさせ、縄張りを荒らす新参者がテリトリーを犯せば寄ってたかって潰す。
そんなNWAが共有するチャンピオン=NWA世界ヘビー級王座に権威付けをするために、1948年の発足時に認定した王者ルー・テーズを38代と規定し、それ以前の全37代について各地のローカルチャンプを時系列に沿って適当にピックアップして後付認定、歴史として固定化した。
そこで初代王者に認定されたのがフランク・ゴッチだ。
1908年4月3日、統一世界ヘビー級王座(ヨーロッパ版)保持者ジョージ・ハッケンシュミットと対戦し勝利し、ハッケンシュミットの持つ王座とフランク・ゴッチが持っていたアメリカン・ヘビー級王座が統一され、世界ヘビー級王座を獲得している。このタイトルマッチを以って、フランク・ゴッチの死から31年後の1948年にNWAが彼を初代王者と認定したのである。
NWA発足以降、アメリカのプロレス市場を独占する彼らの喧伝する歴史以外は表舞台から消え、フランク・ゴッチは伝説の最強王者として尊敬を集めるに至った。
戦後に勃興した日本のプロレス市場はNWAの存在無くしては立ち上がることができず、NWAが定義した歴史を当然に「正史」として発展した。NWA史観に乗り、その史観において当時頂点に立っていたテーズと互角に戦ってみせた力道山には大いに箔がついた。
観客にはもちろん「力道山は強い」と思って観てもらうほうがいいわけで、その強さをプロモーター側はわかりやすく伝える必要がある。わかりやすく伝えるためには権威付けが必要で、そこでNWA史観の文脈に乗った。
そして権威付けの過程でこの名言「ゴッチの前にゴッチ無く、ゴッチの後にゴッチ無し」が生まれたのだろう。
第二次世界大戦で日本をぼろくそに負かしたアメリカはプロレスの歴史も深く、そのアメリカマット界の強豪が次々と力道山を倒しに来る、これは女房子供を質に入れても観戦しなくては、テレビを買わなくては、スポーツ新聞を読まなくては!となったのだ。
ちなみにこの「○○の前に○○無く、○○の後に○○無し」というのは、圧倒的な業績や金字塔を打ち立てた人を評するときの定型的な表現になっていて、様々なジャンルで使われている。一般的には力道山と戦った柔道王・木村政彦に対する作家の富田常雄の表現が有名かと思う。
なお、フランク・ゴッチ自体はNWA史観で大変な高評価を受けているが、実際には人となりも悪いし大して強くないし…みたいなことも言われているようだ。
そしてまったく根拠はないが、この名言は東スポの桜井康雄あたりが言い出したんじゃないのかと私は考えている。プロレスの宣伝に噛んでいた当時の人気作家やマスコミ関係者を洗うと出処がわかるのかねえ。。。
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