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プロレス名言No.009「ロクな死に方をしない」by菊田早苗(GRABAKA、元Uインター道場生)
2000年代の総合格闘技界における大ヒールとしてその名を大いに轟かせた菊田早苗。
菊田早苗という格闘家を長く見てきたが、「置かれた場所で咲きなさい」というのはけだし金言というべきだろう。
諦めて諦めて、流れ着いた先でやむなく格闘技を続けたらあれよあれよと国内ミドル〜ライトヘビー級のスターとなった。パンクラスではGRABAKA(グラバカ)を率い、総合格闘技団体では史上初めての試みであり金字塔となる長期軍団抗争「パンクラスvsGRABAKA」をやりぬき、平行してPRIDEにも出撃。更にアブダビコンバットでは日本人初の優勝を果たすなど大活躍した。
様々なインタビューでも語られているが、この人は本当はプロレスラーになりたかったのだ。なりたくてなりたくて仕方なかったのだ。しかしなれなかった。
なれなかった理由は怪我によるものとされているが、正直理由は別のところにあるんだろうと感じるのは私だけではないだろう。インタビューやマイクアピールからわかるように、この人、空気読めないのか一言多いタイプなのか、とにかく余計な恨み言が多く、関係各所のヒートを買いやすいのだ。
プロレスラーは団体に所属し、団体の中で果たすべき役割が与えられるが、2000年代初頭あたりまでの時代において団体の一員と認められるまでは道場生活という過酷な「ふるい」にかけられるのが一般的だった。新日本プロレス及びUインターといったメジャー団体に入門したが、菊田はそこでふるい落とされた。
新日本プロレス入門時は今をときめく(?)文部科学大臣・馳浩にクビを宣告された。柔道で実績があり、後に総合格闘技で大活躍する菊田の格闘センスを、様々なレスラーを育てた手腕の持ち主である馳が見逃すとは思えない。
相手に身体を預け、怪我をしない・させないように、かつ激しくプロレスをするには信頼関係の構築が必要である。馳はプロレスで必要な種類の信頼を構築するコミュニケーション能力が菊田には欠けていると判断したのではないか。
その馳の判断が、結果として2000年代の総合格闘技界における大ヒール・菊田早苗を生み出す。
格闘家として名を挙げ始めた頃から菊田のヒールとしての素養…フォースの暗黒面が開花する。今回の名言「ロクな死に方をしない」もその頃に発せられた。
「紙のプロレス」(通称「紙プロ」)によるインタビューで、プロレス及びプロレスラーに対する嫌悪感を隠さなかった菊田はこう発言した。曰く「プロレスラーはロクな死に方をしない」。
プロレス界全体を敵に回すようなこの発言に驚いた紙プロ編集部は、影響範囲を狭めるためにその主語を小さくして捏造することで発言を紙面化した。それが菊田の発言として掲載された「天山小島はロクな死に方をしない」である。しかしその紙面はかえって問題をこじれさせ、紙プロ及び菊田は大いに顰蹙を買ったのだった。
格闘家・菊田早苗の最高の実績はアブダビではなく、パンクラスにある。総合格闘技に軍団抗争というアングルを持ち込んで、ガチの試合結果を転がし続けたパンクラス対GRABAKA(グラバカ)は最高にスリリングだった。
菊田・郷野を中心としたGRABAKA勢に蹂躙されるパンクラスマット、強さを求めてパンクラスからGRABAKAに移籍するという造反者(KEI山宮・パンクラスライトヘビー級初代王者)まで生み、絶体絶命のピンチを救う生え抜きのウルトラエース・近藤有己(現・有己空)が神がかった剛拳で菊田を撃ち抜くという流れには全くしびれた。
ヒール軍団の攻勢になすすべもなくやられ続けるベビーフェイス軍団が最後の最後のビッグマッチで絵に描いたような勝利を挙げる。驚嘆すべきはこの古典的だがハッピーでしびれるストーリーが、ガチのリングで生まれたことだ。
この奇跡は、プロレスの流れを組むパンクラスのリング上に、プロレスに対する恨み辛みがナチュラルに漏れ出る大ヒール・菊田がいたからこそ舞い降りたのだと思う。