プロレス名言No.004「ペリカン野郎め!」byモハメド・アリ(元ボクシング世界ヘビー級チャンピオン)
人類の歴史上、最も有名な人物、モハメド・アリ。
テレビの力で世界中あらゆるところで尊敬と憎しみを集めた「ザ・グレーテスト」。
蝶のように舞い、蜂のように刺すと言われた華麗なスタイルは重量級ボクシングに、黒人差別をなくすという信念はアメリカ社会に、それぞれ今日の土台となるような大きな変革をもたらした。
この人に最も大きくあやかれた日本人はやはり燃える闘魂・アントニオ猪木ということになるだろう。
猪木とアリが戦った1976年6月26日・日本武道館での「格闘技世界一決定戦」は普段プロレスなど歯牙にもかけない大手マスコミに散々にけなされ、主催者の猪木は莫大な借金を背負った。
それでもこの一戦があったからこそ、猪木の強さに対してファンが抱くイメージやストロングスタイル幻想が宗教のように強化され、その熱が後の政界進出への足がかりとなったし、アリと戦ったことで受けた世界的な尊敬がイラクでの人質救出といった、猪木以外の日本人では成し得ない実績を産んだ。
もともとこの一戦は、アメリカで発達していたテレビプロレスの煽り=トラッシュトークを自らのプロモーションに取り入れたプロレスファンのアリが発した冗談「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?」がきっかけだった。その冗談に猪木が噛み付いたのだ。
アリは冗談のつもりだったが、猪木は真剣だ。何しろ相手は世界一有名な男、リングにあげて寝かして締め上げちまえば、後は金がガッポガッポのウッハウハ、と考えたに違いない。
紆余曲折を経て実際に戦うこととなったが、アリはかつてプロレスのリングに上がったこともあり、フィックスドファイトとしてのプロレスがどんなものかよく知っていた。ただのプロレスだと思ってのんきに来日したアリ。一丁お仕事でもするべえと試合一週間前の後楽園ホールで行われたエキシビジョンに参加する。
アリは猪木のエキシビジョンを見て異変を察する。「あれ、なんか違うぞ」と。「あいつガチで来る気だ!」
世界で最も有名ということは即ち、世界で最もカネを生むということでもある。大事な商品を傷物にされてはたまらない。アリ陣営は「帰る」「やらない」から始まり、最終的には猪木側が意図的なアクシデントを起こさない限りはアリが負けないルールを設定することでようやく試合が開催されることになった。
しかし猪木陣営は後世に「がんじがらめ」と伝わるルールの穴を突くスライディングキック(後に猪木の得意技「アリキック」となる)やアリの強烈な打撃を封じるグラウンドポジション(こちらは後に「猪木アリポジション」と呼ばれる)で15ラウンドを戦い抜いた。
結果、アリは足を痛め入院(この負傷が現役引退の要因ともいわれる)、猪木は莫大な借金と世間からのバッシングを受けることになった。
この試合は当時「世紀の凡戦」と酷評されたが、総合格闘技の隆盛により現代においてこの一戦の評価はガラリと変わっている。
猪木のスパーリングパートナーを務めた藤原喜明がこの一戦を振り返ったインタビューは大変面白いので、興味があればぜひ読んでいただきたい。
この名言「ペリカン野郎め!」は試合の調印式で飛び出した。
得意のトラッシュトークを繰り出すアリ。
「お前のアゴはペリカンのくちばしみたいだ。そのくちばしぶっ潰してやるからな!」
すると猪木は自分のアゴは鉄のように鍛えられていると述べた後
「日本語を一つ教えてやろう。お前の名前である「アリ」というのは、日本語では小さいあの虫けらのことだ」
と返す。
アリは激昂して
「このペリカン野郎め!今すぐやってやるぞ!」
と喚いた。。。
音は一緒でも意味が違う言葉を用いながらの言葉の応酬は、違う言語を使う者同士のやり取りの理想形に思えて私は最高に好きだ。
ちなみに猪木vsアリが実現した6月26日は、40年後の2016年に「世界格闘技の日」に制定されることとなる。
だが残念ながら1回目の記念日を目前した2016年6月3日、モハメド・アリはこの世を去った。
Photo credit: seligmanwaite via Visual hunt / CC BY